ほわいときゃんばす

マダミスやゲーム、たまに日常

マダミスにおける「暗黙の了解」とゲーマー的思想

今回はただひたすらに個人的な思いを語るだけの記事となります。マーダーミステリーに対してネガティブに解釈出来る表現が出てくる可能性がありますので、その点ご了承ください。

と前置きをしてしまうとあらぬ誤解を生む気がしますのでこれも最初に申し上げておきますが、私はマーダーミステリーがとても好きです。ただ好きなだけでなく、自分の得意な部分、やりたいことに噛み合ってる部分があり、ここまでの趣味になりました。

 

これから書くことは何かを否定することでもなければ何かを変えたいものでもありません。私にはこういう考えがあります、皆さんには皆さんの考えもあるでしょうから、こういう人もいるんだな、と思うだけにしてください。また、これからもめちゃくちゃマダミスやりたいので、どうか変わらずお付き合いください。

 

さて、そんなマダミスというゲームですが、最近このゲームに存在する「暗黙の了解」というのが、私個人がこのゲームを最大限楽しむために考えさせられるものだなと思い、筆を執るに至った次第です。

まず、「ゲーム」とは何でしょう。テレビゲームやネットゲームを想像する方が多いかとは思いますが、その他にもボードゲームや、TRPGやマダミスなども「ゲーム」の定義に入ってます。更に言えば、スポーツもゲーム(試合)と表現されることもあるでしょう。そして、ゲームには原則勝ち負けが存在し、何をしたら勝ちで何をしたら負けというルールが存在します。更には、やってはいけないという反則行為もルールに含まれますね。

 

マダミスに話を戻しますが、私が今まで見てきたマダミスには全て「PLが達成すべき目標」が設定されており、真っ当に考えれば「より多くの目標を達成すること」が最終目的であり、最も多くの目標を達成出来た人が「勝ち」となるゲームでしょう。(点数制の場合は、目標を点数と置き換えて考えてください)

しかし、マダミスにはRP(ロールプレイ)という要素があります。これまた多くのマダミスでは、「ロールプレイをしない、メタ発言をする」という反則事項はあっても、「ロールプレイが勝ち=目標の達成」に繋がることはあまり多くありません。

※マダミスに罰則とかはないので、反則というよりはマナーという方が正しいかも

つまり、「勝ち負けや点数が設定されている"ゲーム"」でありながら、「勝ちに関係ない、少なくとも直結はしない」ことがゲームをするにあたって一番か二番目に重要な要素として設定されている訳です。正直なところ、これについてはとても歪な構造だなと思ってます。何故なら、マダミスにおいてRPと推理が大事な二大要素であるが、「ロールプレイが超上手い人」と「推理が超上手い人」が一緒にやったら、ゲームに"勝つ"のは必ず後者なのです。

続きを話す前にきっと誤解を招く気がするので弁明をすると、私はRP要素が嫌いなんてことは全くなく、マダミスにRP要素がいらないなんて言うつもりも毛頭ありません。マダミスという遊びを成り立たせるものとしてとても重要だと考えてもいます。

 

マダミスをそれなりに数をこなしている人なら、「RPのため、楽しい物語にするために点数を捨てた」ということが1回はあるんじゃないかなと思います。私自身もやったことがありますし、間違っているとは思いません。

ただ、それが正しいという訳ではないのではないか、と思うこともあるのです。キャラクターの気持ちに寄り添うことは大事だと思いますが、作者がゲームとして「達成すべき目標」を設定している以上、それを蔑ろにするのはキャラの気持ちを考えないことと同じくらい考えるべきことなのではないか、と。

 

Q.マダミスで勝ち負けを考えることはナンセンスでは?

確かにそういう考え方もアリだと思います。人には人の考えがありますから。しかし敢えて私の考えを語るのであれば、マダミスがオンライン演劇でもなくただのアドリブ入り推理小説でもない部分は「ゲーム」である点にあり、勝ち負けが存在するからこそ面白い側面は必ずあると思っています。

 

そろそろ話をまとめましょう。

マダミスというゲームには「RPは非常に大事な要素である」という共通認識が存在する上で、しかしそれは「勝ち負けが存在するならば、ルールの範囲内で可能な限り勝ちを目指すべき」という私の考えるゲーマー的思想とは相反するものとなっています。

そしてここで自分の思想に対して反論をするならば、ゲームという広い定義で話してはいるが「競技的思考」と「娯楽的思考」が存在し、マダミスは後者であるというだけと結論づけることが出来ます。

 

例えば、数年前のサッカーワールドカップで、日本代表が「決勝トーナメントへ上がる」という目的を達成するために点を獲ることを諦め、自陣でひたすらパス回しをして引き分けで終わらせるという戦術を選んだことがありました。世間からはつまらないプレイをするなという批判もありましたが、これは競技であってルールの範囲内でもあり、更に言えばマナー違反ですらありません。賞賛に値する戦術だったと思います。

では、ポケモンのゲームをする際に「最終目的はエンディングを見ることだから、不必要なポケモンを捕まえるな」と言われたらどうでしょう。そんな訳ないですよね。この部分が「娯楽的思考」にあたるのかなと思います。

そしてこれがポケモンRTAだったらどうでしょう。「RTAをしていますが、今後使うことのないポケモンを捕まえます、楽しいので」と言われても私は首を傾げます。それはただのゲーム実況なのでは?

 

娯楽として行うゲームは楽しむことも目的に含まれており、必ずしも勝ちに向かうことだけが良いとは限らない訳ですね。もし勝ちに向かうことだけが目標なら、スマブラの大乱闘は結託して1人狙いをするべきですし、桃鉄の妨害カードは撃ちまくるべきですし、バトロワゲーは人が減るまでイモり続けるべきです。

これって、自分が楽しむだけじゃなくて、一緒にプレイする人にも楽しくあってもらいたい、って考えから出来てることだと思うんですよ。桃鉄は割とリアルファイト目撃しますけど)

マダミスもそうであって、人を尊重することが大事なんだなっていう結論です。

 

文章の綺麗さとか気にせず書きました。お目汚し失礼いたしました。